【パチンコ店は怖い?!】働いていた時に起きた出来事をご紹介します

行列客 モテない行動

 

kitajin
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どうも、低身長コンプレックスおっさんのkitajinです。

本記事では、ボクがパチンコに働いていた時に起きた出来事について紹介しています。

一部の人の中には、パチンコ店は怖いというイメージがあるのではないでしょうか。

ボクは、27歳~34歳の7年間、パチンコ屋で働いており、色んな人との出会いや様々な出来事を経験しました。

パチンコ店に勤めていると、本当にいろんなことが起こります。中には怖いこともありましたが、そんな中から、思い出深い人や出来事をいくつか紹介していきます。

内容の一部が少し過激で、気分を害されるかもしれませんのでご注意ください。

それではどうぞ。

kitajin
  • 静岡県浜松市在住
  • 身長157㎝低身長コンプレックスおっさん
  • 30年間様々なコンプレックスを抱えてきた
  • 現在はコンプレックスを克服して精力的に活動中

パチンコ屋での出来事 お客さん編

てんかん患者

てんかんとは脳の病気で、急に意識が飛んでしまう厄介な病気だそうです。特に運転中にてんかんが起こると事故を起こしたりもします。

その人がてんかん患者だというのは、お客さんから伝え聞いたことなので、事実かはわかりません。田舎の小さなパチンコ屋では、近所の人が多く、客同士の噂話が自然と店員にまで流れてきます。

男性の年齢は、40代~50代くらいだったと思います。

ガリガリに痩せていて、歩くのも覚束なく、いつも同じ服を着ていました。今思うと彼は、てんかんだけでなく精神病も患っていたのかもしれません。

そんな彼がある日、うんこを漏らしているにもかかわらず来店して、パチンコを打ち始めました。

手や服についたうんこを気にもとめずに、台や玉を握ってそこら中、うんこまみれにしていったのです。

常連客がすぐに気づき、主任に訴えて来たので、退店というより、追い出しました。

その後、主任に言われて、彼の座った台や椅子をキレイに清掃したのはボクでした。

アル中おばさん

こちらも下ネタですが、この方は60代のおばあさんでしたが、お酒が好きでいつも酔っていました。

家が近所なので歩いて来店してましたが、その足取りは覚束なく、話しかけてもいつもぼんやりとしており、反応もはっきりとしませんでした。

そんなある日、女性のお客さんの訴えから、長時間、誰かがトイレに閉じこもり、出てこないいうのです。

そこで主任が、女子トイレのドアをよじ登って中を見ると、そこには、アル中おばあさんが倒れていたのです。

しかも、用を足している時に意識を失ったようで、便器からうんこをはみ出して、その上に倒れていたとのことです。

おそらく、パチンコ屋のトイレが和式だったので、高血圧で意識が飛んだのだと思います。

副主任はトイレの内側に入り、中から鍵を開けて救急車を呼び、そのお婆さんは、救急車で搬送されていきました。

後で、 たった一人の女性店員が後処理を頼まれて、ブツブツ文句を言いながらトイレを掃除していました。

すぐキレる客

何かにつけて高圧的な態度をとり、少しでも思い通りにいかないと悪態をつく人間はどこにでもいるものです。

パチンコ店に入りたて頃は、まだよく分からずに、その人にビビっていたのですが、だんだん慣れてくるとその人はただ口が悪いだけと気が付きました。

ですので、他の店員同様に舐めたような態度をとれるようになりました。

すぐキレると言っても暴力を振るう訳ではないので、大したことはありません。そして、もう二度と来ないと言いつつ、数日後にはまた平気な顔してやってくる、そんな可愛らしいお客さんでした。

違法駐車

ある時、駐車場に1台の車が止まっていると、これまた近所に暮らす常連客が気づきました。

その店の駐車場はゲートなどはなく、道路に面した駐車場だったので、いつでも出入りが自由でした。

当時はまだお客がたくさんいたので、どの客がその車の持ち主かを知ることができなかったのですが、何しろ過半数が常連客の店、最近よく見かけるようになった客を絞り込めば、すぐにどの客がその車の持ち主が分かるようになり、警察がやってきてどこかに連れて行きました。

何でも、遠くからやってきた人で、パチンコ屋の駐車場に車中泊をしていたようです。

ヤンキー軍団

20年前くらい前だと、まだまだヤンキー全盛期時代であり、集団で高校生から20歳くらいの不良たちが店にやってきては、我が物顔で好き勝手やって帰っていくということが続きました。

彼らは自分の利益に貪欲で、得になることは人の迷惑を顧みずに行い、また集団でやってくるために気が大きく、質が悪かったのです。

当時、『レレレにおまかせ』という羽モノ台があり、玉が役物に落ちると、Vゾーンにタイミングよく通過する瞬間に台を揺らすとVゾーンに入るという違反が横行していました。

御多分に漏れず、その不良集団も台を揺らしては、台の衝撃関知ランプを点灯させていました。

注意しても懲りることがなく、何度でも来て、違反行為を繰り返す彼らにずいぶん注意したものです。

しかし、1円パチンコが出始めた頃から、店が衰退しはじめて、勝てなくなったからか、自然と姿を見ることが無くなりました。

新台入替あらし

パチンコ全盛期の時代、新台入替というと群雄割拠、客と客、客と店員との戦いでした。

何しろ、新台に座れればほぼ勝てるのです。熱くなって、新台を取りに行くのも分かります。

しかし、当時は、イカツイ連中が徒党を組み、各店舗の新台入替を目当てに他の地域からやってきては、新台入替を荒らしていました。

それを業界では、新台あらしと呼んでおり、嫌っていました。

彼らは徒党を組んで、やりたい放題で、一人が早い時間に先頭に並び、入替30分くらい前になると、何処からともなく10人近い男が現れて、平気な顔をして列の先頭に並ぶのです。

さらに、新台を占拠するためにライターを複数の上皿に乗せておいて、全台、荒らしの客が新台を打つなんてこともありました。

店側としては、普段からお金を使ってくれる地元のお客さんに還元したいのに、新台あらしの影響で、ずいぶんと対策を講じましたが、彼らも、店が衰退するとともに消えていきました。

老人天国

田舎の小さなパチンコ屋といえば常連客は皆、年寄りばかりでほとんど近所から、歩いてくるような状態でした。

そんな中でも、僕の記憶に一番残っているのは、お小遣いをくれたおばあさんでした。

すごく表情が柔らかい優しそうな人で、亡くなった旦那さんが公務員だったようで、公務員の遺族年金をもらっていて、相当、お金があったようです。

気前がよくて、勝っても負けてもいつもにこにこしながらやってきて、みんなには内緒と言ってボクにお小遣いをくれました。

しかし、常連意識が強く、少しでも知らない人が出していると、ものすごい形相で睨んでいました。

昔から通っている老人が多かったせいか、他のご老人たちも御多分に漏れず、常連意識が強い人たちばかりでした。

生活保護

生活保護を受けながらパチンコを打ってる人がいました。

その人はもともとは他のパチンコ店で働いていたのですが、年齢からか退職となり、そこから仕事が無くて生活保護を受けるようになったようです。

パチンコ店のすぐ隣の借家に暮らしていました。

年齢は60代過ぎで、一人暮らし。身長が高く、昔はイケメンだったかもしれません。しかし、人を寄せ付けない雰囲気のある人でした。

生活保護を受けながら、パチンコを打っていると近所のご老人たちが陰口をたたいていましたが、ある日から、姿を見なくなりました。

どうしてるかと近所の人も気になっていたようです。

しばらくすると、あまりに姿を見かけないということから、誰かが110番をして警察がやってきました。

そして、その人が布団の中で餓死寸前でいるのを発見しました。何でも、セルフネグレクトで、もう何日も飯も食べておらず、寝たきりになってしまったようです。

パチンコ屋での出来事 従業員編

アル中の主任

そのパチンコ店に働き出して、最初に主任だった50代のおじさんの話です。

大の酒好きで、毎日、お酒を飲み、近所の飲み屋やスナックでも有名人でした。

しかし、酒による遅刻や欠勤がをよくあり、しかもパチンコ店の上に住んでいたことから、言い訳もできない状況でした。

年々、酒癖が悪くなり、仕事を欠勤することが増えたので、主任を降格となります。

それでも酒癖は治らず、ついに無断欠勤が社長の逆鱗に触れ、クビになり、寮を追い出されてしまいました。

玉を抜くカウンターおばさん

勤めていたパチンコ店は、昔ながらのカウンターのところに玉を流し込むジェットカウンターとなっていました。

店員がドル箱をそこまで運んで、玉を流し込むのですが、流した玉をカウンターのおばさんが、客の目を盗んで、玉をそカウンターの下に置いてある箱に入れていたのです。

そのおばさんは、もう何十年もその店に働いており、我が物顔でのさばっていました。

気に入らないお客がいると、そのジェットカウンターで玉をネコババしたり、恐らく別の悪事もしていたでしょう。

1日半で辞めたヤツ

ボクが働いていた当時は、パチンコ全盛期時代で、なんだかんだ言ってお客さんが来ていたおかげで、従業員が常に不足していました。

募集をかけるのですが、田舎の小さなホールの為か、なかなかいい人材が入ってこずに、中にはとても社会人とは思えない人も数多く採用されてました。

彼は、勤務初日に主任に怒られて、次の日もまた何かをやらかして怒られていました。

そして、昼の休憩時間に、「あの主任ムカつくわ」とボクに言ってきたのを最後に、彼は二度と戻ってくることはありませんでした。

住み込み夫婦連れ

この夫婦は流れ者で、店舗の2階にある寮に住むことになったの昔ヤンキーをやっていたような雰囲気をした夫婦でした。

旦那のほうは、夏なのに半袖の制服ではなく、長袖を着ており、どこか危険なニオイを雰囲気を漂わせていたのです。

そして、ある日、前述したヤンキー軍団の一人と大喧嘩をして、それをきっかけにあっさり辞めていきました。

寮の住人

パチンコ屋の2階に寮があることで、素性のよくわからない人たちが来ては、辞めて行きました。

あまり、入ったことがないので、うろ覚えですが、寮と言っても、店舗の上にある店舗と同等のスペースにプレハブが建ててあり、シャワー室とトイレ、小さなキッチンがあるだけです。

長く住んでいる住民は、前述の酒好きの主任以外、2人。

1人は神戸からの流れ者で、元々は九州の人間だったようです。もう一人は、地元ですが、親と折り合いが悪いボクの一つ下の男でした。

彼は、ボクより数年早く入っており、後に副主任に昇格したのですが、急に休みたいと言い出して、それを店長に断られると腹を立てて、あっさり辞めてしまいました。

掃除好きの主任

普通、パチンコ店と言えば、店内の清掃は外注するか、さもなくば専門の人間を一人か二人雇うのですが、この店は社長がとことんケチで、清掃をすべて店員にやらせていました。

そんな中で、特に掃除に力を入れている従業員がいました。

前述に出てくる主任で、一番長く彼の下についていたのですが、とにかくよく掃除をさせられていました。

社長の方針もあってですが、営業中でも暇さえあれば、どこかの清掃をさせるのです。

当時はタバコが店内で吸えたので、ヤニがものすごく、それを大型の空気清浄機が吸い上げていたのですが、そのフィルターを毎週、特殊な洗剤を付けて洗っていました。

他にも、店の窓拭き台のガラス拭き、店外のクモの巣取りなどもさせられました。

また、昔のパチンコ台は、玉を手づかみで移動させるので、至る所に手垢がつきます。それが長い年月をかけてパチンコ台のあらゆるところに付着して、タバコを煙などと相待って黒い線状の汚れが付着するのです。

営業中にも関わらず、台を開けて、汚れた部分をコットンなどを使い、掃除させるので、お客さんにとってはさぞ迷惑な行為だったと思います。

泥棒

この人もまた変わり者の社会不適合者でした。

自分では、元パチンコ店の店長をしていたことがあると言っていましたが、本当かどうか、そんな風格はありませんでした。

また、ギャンブル狂いで、特に競艇が好きで、他県にまで車を走らせ、夜通しで帰ってきたなどと言っていました。

そんな生活をしているせいか、様々なところに借金をしていたようで、ある日、トラブルが起きました。

ボクとその男、カウンターのおばさんの三人で営業していた時のこと、昼休憩になり、最初のその男が休憩に入り、次にカウンターのおばさんが入ったのですが、そのおばさんがいきなり事務所から出てきて、ボクを呼ぶのです。

そして、財布の中身が無くなっていると訴えるのでした。

そのおばさん曰く、その男が盗んだのだろうと言うのですが、そんなあからさまに盗むか?と思ったのですが、その日、事務所に入ったのは、従業員の3人と、弁当を届ける兄ちゃんだけでした。

弁当屋の兄ちゃんが、弁当を事務所に置いて出てくる時間内に、その女性のロッカーを開けて、お金を抜くには、無理がありました。

そして、ボクがその男に、おばさんのお金が盗まれたというと、挙動が明らかにおかしくなったのです。

しかし、店長が問い詰めても否定したので、おばさんのお金の件はうやむやになったが、後に、借金取りからの催促の電話が店に掛かってきたので、社長が嫌疑不十分のまま、クビにしました。

パチンコ屋の出来事 店編

イベント

パチンコのイベントと言えば、何と言っても新台入替ではないでしょうか。

当時の新台入替は祭りのようなもので、お客さんはいつ新台入替が行われるかを今か今かと待ちわびたものです。

そして、普段は朝9時オープンなのに対し、新台入替は昼12時オープンで、熱心なお客さんは数時間前から店のドアの前で待っていました。

ボクが働いていた店では、新台入替の時は、スロットにモーニングが入れており、それをお目当てにやって来るお客さんも多かったです。

因みにモーニングとは、あらかじめ大当たり状態にしておくことを言います。

新台入替の前日の夜に従業員総出でパチスロを回して、大当たりフラグが立つまでり続けるという謎の行事がありました。

しかも、レギュラーではダメなので、ビッグで当たるように、レギュラーだった場合は消化しないといけませんでした。

各機種に2台(昔のパチンコ屋は、各機種最低10台くらいはあったので)ビックを仕込むまで、帰れないという半ば試練のような作業が待ち構えていたのです。

社長

商売とは、経営者の方針で色々と変わるというのは当然のことですが、その店の社長はとてもセコイ人でした。

前述のとおり、掃除をする人を雇わずに従業員にやらせたり、ギリギリの人数でやっていたので欠勤も許しません。

パチンコ台もほとんど入れ替えることなく、10年選手が目白押しでした。

そして、新台入替と言っても、中古台を入れることもあり、台数も、当時としては珍しく数台だけで、広告を打つような人でした。

しかも、系列店が一店舗あり、その店と交互に台を入れ替えて、さも、新台のように見せかけて経営をしていました。

また、古くなった台はよく故障していたので、部品を交換して何とかしのいでいました。

客を増やす努力より、どうにかして、経費を抑えて利益を出そうとする社長でした。

年々傾いていく店

ボクがそのパチンコ店に入社したころは、パチスロ4号機が全盛期時代で、アラジンAや猛獣王、サラリーマン金太郎などの爆裂AT機がホールを賑わしていたころでした。

しかし、あまりにギャンブル性が強いことと、その頃からパチンコによる様々な社会問題が起こり、ギャンブル性を抑えるように規制が入り、徐々にパチスロ機のゲーム性が変化していきます。

それでも、その後も吉宗や北斗の拳など、後に語り継がれる名機が出るのですが、それらも規制の対象となり、2007年頃には完全にホールから4号機が完全に無くなるとともにパチスロ人気も低迷していきます。

ちょうど、時期を重ねるように、パチンコ業界全体も変化していきます。台の上に大当たり回数や回転数が分かるデータランプがついたのもこの頃です。

また、1円パチンコが出てきたり、等価交換が主流になったりと、他店は様々な工夫を凝らし、お客さんを呼び込もうとします。実力のない店は生き残れない時代へと突入していくのです。

周りの店が変化に対応していくのに対し、変化による機械代を回収するのに一生懸命で、とてもお客さんに還元するまで回らずに、衰退していきます。

僕が辞める1年前には、ほとんどお客が来ない閑古鳥状態でした。

その後、パチンコ屋を辞めてからしばらくしてたまたま通りかかったときに、のぼりなどを見てみると、1円パチンコならず、2円パチンコをやってました。

なんとか延命をしていたようですが、それも持たずに、それから数年後に潰れていました。

店に来たゴト師たち

kitajin
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現在でも暗躍しているようですが、20年前くらいのパチンコ店は多くのゴト行為の的にされていました。

ボクの勤めていたパチンコ店は、田舎の小さなホールでしたが、(小さなホールだから狙われたのかもしれないが)そんな小さなホールでも、全国からゴト師たちがやってきて、ゴト行為が頻繁に行われていました。

そんな中で、印象的な出来事をいくつか紹介していきたいと思います。

ゴト行為とは、パチンコやスロットで、不正な方法を用いて出玉やコインを出して利益を得る犯罪行為の総称です。そうした犯罪行為をする者をゴト師と呼んでいます。

ハーネスゴト

ハーネス事とはパチンコ台の後ろの基盤についているハーネスという部品を交換して受信機を付けて、それを遠隔操作することで、大当たりを強制的に出せるようにするゴトです。

パチンコ・パチスロ両方ともに被害があり、一度交換できれば、店側が気づくまで不正に利益を得ることが出来ます。

昔働いていた店で、初代海物語につけられたハーネスによって、ありえない挙動で大当たりくり返した台があって、何日もそれが続いていたので、おかしいということになっていろいろ調べた結果、ハーネスが交換されていることに気づいたということがありました。

結局、このゴトは捕まることなく、ハーネスを取り換えることと鍵を全部交換することで収まった記憶があります。

裏基盤ゴト

基盤取り替えゴトというのは、台の裏にある基盤ごと取り換えてしまうというゴトです。

一度交換すれば、特定の打ち方をしたり、何らかの操作をすれば、自分たちにしか気づかないように設定ができ、大当たりを強制的に演出できます。

交換方法としては、新台入替の時に、業者を抱き込んだり、店の人間を抱き込んだり、深夜店に忍び込んで、基板を取り替えるという荒業もやっていたと言います。

また、営業中に台を数人で取り囲み、監視カメラから見えなくして、取り換えるなんてこともしていたようです。

現在でも、ゴトと言えば、基盤取り換えが主流であり、ゴト師たちの収入減になっていると言われています。

針金ゴト

針金ゴトというのは、針金を賞球口から突っ込んで、不正に大当たりのアタッカー(玉が入ると、賞球が出る扉)を開いて、玉を不正に入れるゴト行為です。

現在は、そんなことをすると、台から警告音が鳴り響き、すぐに店員に気づかれてしまうのですが、装置がついたのも、この針金ゴトが横行するようになったからです。

逆に言うと、昔は大当たり状態でなくても、賞球口に玉が入れば、問題なく払い出しされていました。

ですので、店員をしていた当時は、閉店まぎわに、大当たりの権利が残っている場合、一回だけ大当たりの保証があり、賞球扉を手で開けて、玉を入れて一回の大当たり分の玉を保証してあげていました。

磁石ゴト

磁石ゴトは一番典型的なゴト行為であり、誰でも思いつき、実行できたゴトではないでしょうか。

やり方としては、外からガラス板に磁石をつけて、玉を操作して、大当たりの V ゾーンに入れます。特に一発台や羽根モノ台が全盛期の頃は流行ったようです。

因みに一発台とは、漫画カイジにある『沼』のような台を言います。

幾つもの穴を通過して、最終的に大当たりの穴に入れば大当たりというシンプルかつギャンブル性の高い台ですが、様々な不正が多い事と、店側としては利益が計算しづらいという理由から自然淘汰されてしまいました。

様々なモノに磁石を仕込んでおいて、玉が役物に入る時を見計らって近づけて大当たりを発生させます。

しかし、現在は磁石を近づけるとガラスが曇ったり、警告音が鳴り響くなどの対策が取られており、既に絶滅したゴト行為ではないでしょうか。

台揺らし

台揺らしとは、これまた、羽根モノ台や一発台がホールにあった時代に横行した不正行為ですが、V ゾーンに入るかどうかの時に台を揺らして玉を V ゾーンに強引に入れると言う行為をいいます。

実際にどうすればいいのか、実践したことがないのでよくわからないのですが、店で、実際にやっていた人間がいたことで、効果があることが分かります。

羽モノ台の『ファインプレイヤー』や『レレレにおまかせ』などで、このような行為が横行していました。

しかし、これもまた震動センサーがつくようになり、台を叩いたりすると、ブザーが鳴って台の枠のランプが点滅することで、防ぐことができました。

油ゴト

油ゴトもまた古くからあるゴトの一つで、古典的な方法です。実に簡単で、玉に油を塗ればいいだけです。

油をつけることにより、玉の滑りが良くなって、入賞口に入りやすくなるのです。

というのが、パチンコ台は釘調整が命であり、大方の店は釘を締めて、利益を出すのですが、玉に油を塗るだけで、入賞の難易度が下がるというのだから驚きです。

実際にどれくらい差があるのかは分かりませんが、一つだけ確かなことは、このゴト行為をした後は台が油まみれになるので、すぐに発見されてしまうという欠点があります。

しかも、羽モノや一発台のような台でないと効果が薄いというのも難点で、ボクも一回しかお目に掛かった事はありません。

体感機ゴト

体感機ゴトというのは流行ったのは吉宗での時でした。

体感機ゴトというのは、簡単に説明すると、スロットの大当たり抽選は、レバーを叩いた時に決まっていて、本来、大当たり抽選はランダムにやっているのだが、大当たりのタイミングを掴むことによって、簡単に大当たりが引けるようになるというものです。

しかし、人間の動作では、どうしてもズレが生じるので、低周波治療器を使ってその乱数を把握するようです。

知っている人間にとっては、造作のない事かもしれませんが、いろんなことを考えるものだと思ったものです。

他店のスロットコインを使う

他店のスロットコインを使うゴトは、潰れた店のコインや原価率が違うコインを使ったり、ゲームのコインなどを用いプレーするものです。

誰にでもやれて、罪悪感も少ないのが特徴で、 やれるのは度胸だけであればいいです。だけど、証拠が確実に残るので、すぐバレるのが特徴です。

結局、自分の入れたコインはホッパーに残り、後に払い出しで自分の手元に戻ってくるからです。

また、ボクの働いていた店では、ホッパーにコインが溜まるとエラーとなって店員がコイン回収しなくてはならず、(現在はホッパーから出たコインは別の場所に流れていく仕組みになっています)それでバレるか、または交換時に、メダルカウンターに流している時に店員に見つかるというパターンでした。

知らない間にドル箱にメダルが溜まっているというようなこともあり、殆どが他店の見た事も無いコインだったなんて大胆な奴もいました。

クレマンゴト

クレマンとは、スロットのコインの入れる穴に専用の機会を差し込むとクレジットが満タンになるというゴトです。

これはなかなか気づかれにくく、クレジット一回で大当たりすれば二度と使わずに遊べるので気づかれにくい特徴がありました。

しかし、どこの世界にも欲深がいるもので、クレマンを使い、大当たりを出さずにコインを排出させて早めに利益を得たいがために店員にバレるということになりました。

ホッパーゴト

ホッパーの払い出し口にセルを入れ、不正にコインを払い出すというゴトです。

ホッパーとは、お金を入れて、コインが出てくるスロット台の横についている機械です。

昔のパチンコ店では、ホッパーにコインが無くなると手動でコインを追加していたので、座ってからそれほど時間がたってないのに、コインを追加しなくてはならないのはおかしいのと、大当たりしてないお客が、いつの間にかコインをドル箱に詰めていることも不自然でバレました。

最後に

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ボクがパチンコを始めた18の頃は、地域密着の小さな店が雨後の筍のようにたくさんありました。

どこかの金持ちが、気まぐれで作ったようなパチンコ店もたくさんあり、経営は酷いもので、客が入らず潰れる店も多々ありました。

そんな中では、ボクが働いていた店はまだマシな方でしたが、それでも時代の波には勝てずに、今から10年くらい前に閉店しました。

また、パチンコは昔、30兆円産業と言われており、金があるところには犯罪がつきものであり、多くの犯罪行為がありました。

昔は、本当に血なまぐさい事件もあり、僕が働いてた店では、ゴト師を見つけても捕まえようとはせず、警察を呼べと言われました。

当時のことを思い出すと、パチンコ業界のことだけでなく、時代の流れを思い、ついには日本の凋落まで思いが向かっていきます。

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